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発行元:NPO法人日本エニアグラム学会   2014年4月20日 vol.412
エ二アグラム《自分探しの旅》
~~自己成長とコミュニケーションのための人間学~~

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働いている者には、昼食と上司はつきものといってもよい。毎日向き合う
のに、なぜそんなにこだわるのか。「こだわる」と「こだわり過ぎる」こと
は違う。こだわるだけならいい。それが「過ぎる」とやっかいだ。そこから
動けない。まさに執着だ。

牛丼に、パワーハラスメントに。注文どおりの「応答」がほしい。執着は
静かで熱い。対象を絞り、集中すると、周りが見えなくなる。葛藤した感情
を凍結させていたが、心のつながりのある友達がすくいだしてくれた。

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■目次■
●エニアグラム日記 タイプ1「ネギ抜き一丁!」 ●
●         タイプ1「ほっこりしてきた」●
○編集後記       ○

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「ネギ抜き一丁!」

★4月2日(水)★

私は牛丼が好きだ。

学生時代から現在に至るまで一週間の内2,3回は食べる。しかしいつも
一つの大きな問題がある。それは「私は玉ねぎが嫌いだ」ということである。

私は玉ねぎをどけながら牛丼を食べる。学生時代は近くの牛丼屋の肉を足
す時間帯を見切って店に入ったものだ。少しでも時間が早ければ、飯の上に
玉ねぎがごろごろしている牛丼を食べることになるが、タイミングさえ良け
れば玉ねぎが溶けてしまったほとんど肉だけの素晴らしい牛丼を食べること
ができる。

当時の私にとってこれは一種の勝負であった。この勝負に勝ち、どんぶり
を手にして胃袋に飯をかっこむ爽快感はまさに至福と言って良い。

この至福を牛丼屋に入るたびに味わう方法が一つだけある。「ネギ抜き」
を注文することである。

ところがこの注文が私にとってはこのうえなく辛い。

何故なら、私は「ネギ抜き」は料金を加算するべきであると信念を持って
いたからだ。第一、店の好意に甘えて余計な手間を加えさせ、それを無料で
やらせるとは何とずうずうしい行為であろうか。この信念をまげるのはこの
まま自分がダメになりそうで辛い。だが・・・。

私は今日「ネギ抜き」を注文した。

駅前の牛丼屋に入った。店員が何故だか私の顔を覚えており、「いらっしゃ
いませ」と挨拶をし、私がいつものように大盛りを注文した後で、その店員
は「ネギ抜きもできますよ」と言ってくれたのである。チャンスである。

私はその店員が一瞬だが天使に見えた。この店員は、私がかねがねしたく
てもできない行為を許してくれているのである。

「じゃ、ネギ抜きでお願いします」と私はそれでも恐る恐る言った。する
と店員は店中に響き渡るような声で言った。

「大盛り、ネギ抜き一丁~!!」

そんなに大きな声で言わなくてもよかろう。私はこれまで牛丼屋に入る度
に「ネギ抜き」の誘惑に負けまいと自分で自分を律してきたのだ。今日はあ
なたが許してくれたから、その気持ちに甘えただけだ。次回からは金輪際こ
のような注文をしないと誓う。少なくとも「ネギ抜き」に料金加算がされる
までは。だから・・・。

うつむきながら、声にできない叫びを心の中で発し続けている内に牛丼は
私の前に出された。飯の上には肉しかない。「素晴らしい」の一言に尽きる。
本来なら玉ねぎが占めるであろうスペースにも肉がのせられている牛丼だ。

私は意を決した。出された以上きれいに食べよう。そしておそらくこの先
二度と無いこの瞬間を楽しもう。私は姿勢を正し、はっきりと「いただきま
す」と言ってどんぶりを手にした。

美味しかった。私は一気に食べた。米粒一つ残さないように。

そしてあっという間に至福の時は終わった。店員がやって来た。

「御勘定ですね。牛丼大盛りネギ抜きで○○○円です!」

私に罪の意識が生じ、すぐさま心の中で叫んだ。

わざわざそんなこと言わなくてもいいじゃない。「牛丼の大盛りで○○○
円です」でいいじゃんよ! なぜわざわざ「ネギ抜き」と言うんすか~?

さらに私が手にしたレシートにも
「牛丼大盛り○○円、ネギ抜き・・・・・・0円」

と書いてある。なんで~!?これに何の意味があるというの~!?

そうか、わかった。これは店からの忠告なのだ。あくまでも好意なのだか
ら調子に乗るなという戒めに違いない。

わかりました。二度といたしません。そして改めて申し上げます。

ごちそうさまでした。

(いかり べしお)

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「ほっこりしてきた」

★3月27日(木)★
今年の年賀状に“3月で長野に帰省する”と書かれていた友人のメッセー
ジをふと3月上旬に思い出し、慌ててメール連絡をとり4年ぶりに会った。

毎回数年ぶりの再会であるが会った瞬間から話が弾み、食事をしながら気
づくと3年前に私が体験したパワーハラスメントの影響で今もなお悩んでい
る自分の事を自然と吐露していた。

私がこの3年間の中でたった2人しか相談、胸中を話す事はしていなかっ
た。自分の問題は、自分で解決をモットーにしている私は、余程の状況でな
いと相談をしない。

上司も変わり、この1年取り巻く環境も変わったはずなのにその場を耐え
忍ぶために固く固く凍結させた自己能力と感情の回復ができず錆ついたまま
の自分に対してやり場のない葛藤に苛まれている正直な思いを話していた。

私に期待し、「リハビリ、リハビリ」と行って励まし見守ってくれる現上
司に対して思うような結果や成果が出しきれない。やる気と行動、思考と表
現が伴わないジレンマに押しつぶれないよう頑張ろうとすればするほど空周
り・・・、理想と現実のギャップを“何故?どうして?”と本来の自分は・・・
という理想が頭をもたげ今の不甲斐ない自分を許せない・・・。

話をしているとその友人も壮絶な状況下で職場マネージメントを行ってい
たことを話し出した。そして私に“今こうして一緒にいるだけで嫌な事も浄
化されるように心のうちが静かになる。思いもよらぬ体験を聞いていて涙が
溢れそうになるのに静寂でいられる。本当に不思議。

今は、自分を甘やかしてほしい。必ず、溜飲が下がる時が来る。穏やかに
思いだせる日が来ると思う”と呟いた。その言葉は、今の身の丈(思い描く
理想ではなく、周りに写っているありのままの受け入れ難い今の自分)を素
直に謙虚に受容する事(=甘やかす事)に気づかせてくれた。

私にとって甘やかす事は、苦痛そのものである。なぜなら、自分が捉えて
いるように自分を認めてもらいたいという思いから説得と納得という行動が
出てしまい自己を正当化しようとする癖が悪気なく無意識に身についている。

そして、弛まぬ努力で養ってきた自分勝手な自信(自分の物差し)が更に
その事を難しくしていることに気づく。素直になるとは、“私”を前面に出
さない、自己評価せず何事も聞き入れる姿勢が必要である。

ありのままの姿を否定せず、すべてを受容し共感してくれた友人から得た
無条件な信頼を通して自己の概念くだきができ、歪みや拘りの影響をしみじ
みと自覚した。自分自身が嫌で嫌でたまらないが、張り裂けそう衝撃やざわ
めき、窒息しそうなくらい窮屈に委縮していた心は澄みきった静寂さを取り
戻し、心地よい温かさに包まれほっこりしてきた。

言葉にならない波立つ感情や思いをくみ取ってそっと寄り添ってくれた友
人のおかげで心の蟠りがスッと癒され消えていくのを感じた。

終電間際まで互いに話が止まず、急ぎ足で駅に向かい別れた。安心してこ
んなにも無防備に自らを語る心の対話ができ、私自身も浄化された貴重なひ
と時であった。

(つくし)

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(編集後記)

3月末に、板橋Cityマラソンに参加しました。3回目のフルマラソンです。
無事に完走しました。

風がきつく、走りは苦戦しましたが、給水などや食べ物もたくさんあり、
楽しく走れました。また、出たいと思っています。

(本永)

★エニアグラム日記の次号は、タイプ2。 5月18日配信予定です★

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