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発行元:NPO法人日本エニアグラム学会   2013年1月20日 vol.367

エ二アグラム《自分探しの旅》
~~自己成長とコミュニケーションのための人間学~~

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真冬の新幹線のホームで一人っ子は九州の施設にいる両親を思いやる。
東京で働いているが、親への責任を投げだそうとは思わない。見舞うたびに
耳にとどく一言が宙をさまよう。時間は止まっているようだ。親の人生の最
後の着地まで見守る覚悟を冷静に書く。誠実さが伝わってくる

実家で食事の用意をしてくれる母に「お母さん、子どもにも私にも食材に
ついての解説をしないで」とは言えない。データーだけでは、彩りも物語も
ない。でも、うれしくないとは言えない。今月は思いやりの体験をおとどけ
します

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■目次■
●エニアグラム日記 タイプ4「あなたの息子です」●
●         タイプ4「母には言えない」 ●
○編集後記        ○

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「あなたの息子です」

★12月31日(月)★

九州の母が入院したと知らせを受ける。命に別状はないとのことだが、年
末の予定を変更してK市に向かう。大晦日の新幹線、帰省ラッシュの中で立
ちんぼうを覚悟する。幸い品川発午前6時の始発のぞみに空席がある。

母が脳出血で入院し、アルツハイマーの父が自宅に一人取り残されること
になったのは、2006年の正月だった。当初は、一人息子の私が介護するつも
りだったが、父の頑なさとめちゃくちゃぶりに切れそうになるまでそう時間
はかからなかった。

母の入院中、夜中に何度も、「お母さんはどこに行った」、母が呼んだと
騒ぐ。その度ごとに「お母さんは病院だよ」と父を寝かせる。2階の部屋で
寝ていても、階下の小さな物音にも耳を澄ます。眠れない。

認知症は家族で介護するとみな駄目になる、認知症を納得させるのは無理、
とのアドバイスに従って、介護付き老人ホームに預かってもらうことになっ
た。幸い設備の行き届いた親切な施設で、やがて退院した母も同じホームに
入ってもらった。時に連れて二人とも認知症が進んだ。

広島の手前から雪となる。10時半到着。さっそくA外科病院へ。やや大
きめの個人病院だ。母は大腸炎で、血便に気づいたホームのスタッフが大事
を取って入院させてくれたのだ。近くに住む叔母夫婦が昼食の介助に来てく
れていた。母は、環境が変わったのが刺激なのか、楽しそうに笑っている。

★1月1日(火)★

ホームへ。父とテレビで実業団駅伝を見る。7年前には狂ったように不在
の母を追い求めた父だったが、今回は所在なさげにぼんやりしている。それ
でも時折、「お母さんは?」と聞く。「今、人間ドックに行っているからね。
1週間ほどで帰るよ。健康だってさ」と、施設のスタッフと打ち合わせてお
いた言い訳を繰り返す。「そうか、健康でなによりや」と父が笑う。

昼前、15分ほど歩いて母の病院へ。昼食の食事介助をする。母が私を息
子だと認識しなくなったのはいつからだろうか。半年ほど前に、「じゃ、お
母さん帰るからね」と声をかけてホームの部屋を出ようとしたら、「親切な
若い人だねぇ」と父に話していて、思わず苦笑したのを憶えている。

母の病室は6人部屋。気管切開をしていたり、視線が合わなかったり、
しょっちゅう無意味なナースコールを鳴らしては看護師さんから怒られたり、
となかなか賑やか。認知症ではあるが、私の母が一番「健康」かもしれない。

元旦だが、誰か来ているのは私だけだ。「90日を過ぎると保険の診療報
酬が変わります」という廊下の表示に、「ああ、ここはいわゆる老人病院だっ
たのだ」と気づく。

7年前、仕事を辞めてでも自分で介護すると言い張った私。「そんなこと
をしたら皆が共倒れになる」と猛反対した妻。時間が経った今となっては、
妻の慧眼とホーム職員の献身にただただ頭が下がるばかりだ。しかし、両親
を施設に預けっぱなしにして自分が東京で仕事を続けていることに、後ろめ
たい気持ちは変わらない。

もはや、息子を息子として認識しなくなった母。銀婚式を迎える私に、
「早く結婚しろよ」と説教する父。いろいろな恐怖から解放されて、2人が
ただ楽しそうにしていることは救いかもしれない。

飛行機で言えば最終着地態勢に入った父と母。一人息子の私のできること
は、このまま気持ちよく着陸できるように環境を整えることしかない、とい
つも思う。父と母と過ごすことができた正月に感謝して祈る。

母の病院から父のホームに戻ろうとしたら、氷雨に降り込められた。待つ
うちに、救急車でノロウイルス感染の疑いのある老人が運ばれて来た。

★1月2日(水)★
後をホームの職員と叔母らに託して帰京する。帰りの新幹線をホームで待っ
ていたら、それまでの晴天が一気に冷たい雨となる。九州とはいえ日本海を
向いている北九州地方には、冬場このような天気が多い。

2013年1回目の新幹線に乗車。今年は、こうやって通うことが多くなりそ
うだ。一日一日を大切に生きて行こう、と思う。

(ちゃんぽん)

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「母には言えない」

★12月28日(金)★

今日は仕事納めの日だった。

今年最後の勤務日だけど、よく考えるとやり残したことばかりだ。
上司に自分から提案したことも、まだ出来ていない。

それだけじゃない、あれもそしてこれも・・・。気ばかり急いて頭が働か
なくなる。ここで一呼吸、そう自分に言い聞かせて「ふうーっ」

もう一度頭を落ち着かせ、やり残した仕事をメモする。
メモを終えると、自分も成果があったと思うことができた。

仕事を終え、挨拶を交わす。
「今年も大変お世話になりました」
心からの挨拶をしたら、なぜかほっとして、満足感が身体全体を覆った。

★1月5日(土)★

久しぶりに娘たちを連れ実家に帰省した。実家とは車で1時間程の距離し
か離れていないので日頃から往き来し、顔を合わせる機会もあるが、今回
は久々の1泊ということでとても楽しみにしていたようだ。

福岡も今年は一段と寒く、母は今の暖房器具で私たちが寒さを凌げるかな
ど心配したり、少しでも身体に良いものを食べさせたいと食材も凝って用意
したりしたそうだ。

感謝の気持ちでいっぱいではあるが、食材一つが出るたびに

これは、どこのスーパーに売ってあるのをわざわざ買ったとか、
テレビでこれは身体に良いと言っていたから

などと聞かせるのは止めてほしい。

辛抱強く聞くことも親孝行と思うが、データばかり語られても何も頭に入っ
てこないの。

「ごめんなさい、お母さん」

親の気持ちに応えられず、少し申し訳なくなった。

(さくら)

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(編集後記)

新年ですね。

もう一年が経ったのかと、月日の流れの速さを感じます。

このメルマガは、2003年の秋からスタートしました。

お陰様で、今年で10年になります。
本当に、ありがとうとございます。

本年もよろしくお願いいたします。
(本永)

★エニアグラム日記の次号は、タイプ5。 2月17日配信予定です★

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