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発行元:NPO法人日本エニアグラム学会   2011年6月19日 vol.308

エ二アグラム《自分探しの旅》
~~自己成長とコミュニケーションのための人間学~~

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大震災のあとの命の誕生です。高齢出産というリスクを覚悟で、新しい人
を迎えるまでの記録。安全な場所で産みたいとねがうのは当然でしょう。

五歳からすでに親の助けができる姿も描かれ、命を産み、育てることが、
喜びをあたえられるのだと伝わってきます。母親も父親も頑張りつづけ、
読む者にエネルギーを伝えてくる日記です。

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■目次■
●エニアグラム日記 タイプ3「産まれた」 ●
●         タイプ3「五歳の秘書」●
○編集後記      ○

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★6月1日(水)★

東日本大震災があった時、私は妊娠9ヶ月で布団の中だった。2月から切
迫早産で寝たきりだった。地震が起こるときの地響きのような音で、6年前
の福岡西方沖地震を思い出し心臓が縮む感じがした。

福岡で地震にあった時も妊娠していた。震度6の記憶がよみがえり、飛び
起きて揺れるたびに食器棚や本棚を押さえた。その日から、出産が不安にな
る。ただでさえ高齢妊娠で様々な思いを乗り越えてきたのに・・・。

43歳。今は40代での出産も珍しくないので、高齢出産とは言わないら
しいが、リスクが高いことに変わりはない。一人産んでいても、簡単に妊娠
できるわけではなく、2度流産した。あきらめようかと思ったが、長女が寝
言のように妹が欲しいと言う。子宮ガン検診に引っかかりつつも、妊娠。
最後のチャンスだと思った。

ところが、産む場所が無い。産院はどこも予約でいっぱい。アイドルの
コンサートチケットを取るようにして分娩予約の電話をかけ続けた。やっと
病院が決まると、落ち着くまもなく羊水検査の受診を、決断せねばならない。
お腹に針を刺して羊水を取るためリスクもある。胎児を刺してしまうことも
あるらしい。やっと授かったのに、命の値踏みをしているようで罪悪感に襲
われる。お腹の中にこちらの声は聞こえているはず。赤ちゃんはどんな気持
ちで聞いているだろう・・・。欲しがっておいて、ひどい親だと思われてい
るだろう。そう考えると胎動が余計空しい。

結局、悩んだ末に羊水検査を受けた。針は子宮も破らず胎児にも当たら
なかった。良かった。それで検査の結果はどちらでもよくなった。もし陽性
でも、この子とさよならできないと思った。それから、人生最後の妊婦生活
を楽しもうとしたが、動き過ぎて切迫早産になり寝たきりで地震に出会った。

さらに計画が狂っていった。停電や買占め、放射能の不安。急遽里帰り出
産に変更した。長女は幼稚園を長期で休ませ、主人は自宅に残り、離れ離れ
の生活。無事に産まれたとしても、安心して帰ってこられるだろうか・・・。
心配は尽きないが、安全な場所での出産をと自分に言い聞かせ、帰省した。

出産間近の私を受け入れてくれた福岡の病院は海のそばにあり、窓からは
志賀島と能古島が一望できる。長女は病室から海を見て、「ここは津波は来
ないの?」と怖がる。そして病院には地震での避難妊婦が私の他にもたくさ
んいた。

ここは同じ日本だろうかと思うほど平和である。両親学級で沐浴の練習を
する夫婦は笑顔で幸せいっぱいだ。私は一人で参加し、揺れないところで産
めるだけでいいと思っているのに。悲惨な顔をしているのは私だけ?そうだ、
もうすぐ出産する。家族が増える。喜んでいい、幸せなのだ。地震ですっか
り忘れていたが、人生最後のビッグイベントだ。

そして、帝王切開の手術予定日の一週間前・・・夜中に突然破水、陣痛が
来て、緊急手術で出産した。普段から、細々と計画を立てるのは好きだが、
予定が狂う事はあまり考えていないので、今回のようにあるはずのない破水
が起きてしまうと動揺して、オロオロするばかりだった。午前4時半、両親
と共にバタバタしていた実家で、一番冷静だったのは6歳の娘だった。
「ママ、くつしたをはいてからおくつをはくのよ!」と言ったが靴下は履け
なかった。

病院で分娩室に入る。陣痛は来ているが9時に帝王切開で手術するとのこ
と。だんだん強くなる陣痛に怯えながら私は後悔していた。「どうしてこん
なことになったのだろう」「何がいけなかったのだろうか」原因ばかりを考
え、予定通りにいかず先生や家族に迷惑や心配をかけたことを悔やんでいた。
「失敗した」「罰が当たった」と混乱する私の手を娘が握ってくれた。「マ
マ、もうすぐあかちゃんにあえるね」と。どちらが親だかわからないが、こ
うなったら娘を頼らせてもらおう。主人は慌てて空港へ向かったらしいが出
産には間に合わない。陣痛が来るたびに、娘の手をぎゅうっと握り締めた。
「だいじょうぶだよ。でも手をかえてもいい?」手が痛かったらしい。娘は
最後まで冷静だった。

手術室に入ってしまえば、あっという間だった。麻酔の先生に近くで「順
調ですよ」「もうすぐですよ」と声をかけられ安心できた。泣き声を確認す
ると、顔の近くへ連れてきて写真を撮ってもらった。

産後の入院生活は楽しかった。一人目の時は不安だらけだったが、二回目
なので授乳やオムツなど記憶がよみがえってきた。初体験の事や突然の出来
事には極端に不安や動揺をしてしまうが、一度経験していると、それを生か
して楽しむ事をあれこれ考えている。助産師さんにも質問したり甘えたり冗
談言って過ごせた。毎朝病室をのぞいてくれる主治医に今日は何の話をしよ
うかと準備するようにもなった。「一人目は大変だけど、二人目を産んだら
三人目が欲しくなるよ」と言った友人がいたが「あと五年若かったら、もう
一人産みたかったな」出産前にはありえないと思っていた言葉が口をついて
出る。

そして、二人の娘を連れて実家から自宅へ帰ってきた。ご近所も地震の前
の生活に戻ったかのように普通に暮している。放射能はまだ心配だが、なん
とか生活していけそうだ。医学の進歩に感謝しつつ、高齢出産バンザイだっ
た。
(おしゃべりママ)

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「五歳の秘書」

★6月18日(土)★

今夜も営業活動から帰宅して時計を見ると夜11時を過ぎていた。

明日には請求書を発送しないといけないので、これから作業に追われる。

家族の寝顔を確認して、自宅内事務所のデスクに向かう。

取引先への請求書を全て作成し、封書作業に取り掛かろうとした時、五歳
になる娘が事務所に入って来た。娘はのり付け作業に興味があり、どうして
も手伝いたいと言い張るので、仕方なく、やらせて見ると、驚いたことに丁
寧にのり付けをやりだした。

ほのぼのと親子で封書作業を完成した時には日付が変わっていた。

それから数日後、妻に急用ができ、代わりに自分が保育園に子供を迎えに
行った時、娘の教室に、父の日にちなんだパパの似顔絵が貼ってあるのに気
付いた。

娘に映る父親像に不安を抱きながら、そっと見ると、そこにはメガネにスー
ツ姿で笑っているビジネスマンがいた。パソコンに向かっている時にしかメ
ガネをかけないのだが、娘にとって自分は仕事をしているイメージが強いの
だろう。

自分のタイプは仕事と生活を完全に切り分けるのは少し難しいかもしれな
い。しかし、せめて娘の前では、いつまでもイキイキと仕事をしていたいと
思った。

(必殺仕事人)

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(編集後記)

もうすぐ7月ですね。

節電のためにとサマータイム(早朝出勤)を導入する会社もあると聞きま
すし、ネクタイをしている人も以前より一層少なくなったように思います。

私は、扇風機を出しました。

(本永)

★エニアグラム日記の次号は、タイプ4。 7月24日配信予定です★

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