∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
発行元:NPO法人日本エニアグラム学会   2009年8月23日 vol.244

エ二アグラム《自分探しの旅》
~~自己成長とコミュニケーションのための人間学~~

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

そうだったのかと読む文章がある。人の心の奥から伝えられる、ほんと
うのこと。情報とは別の次元のことだ。たとえば傷ついた気持ちを隠し
ているとき、相手を拒否することも。気持ちにふれられたくないので、
シャットアウトすることもなくはない。そうだったのかと知る。

「8月は特別な月だ」ヒロシマの体験記はぜひ読んでほしい。爆心地で
父を思うだけではすまない痛みが突き刺さる。個人体験を超えた祈りの
記録。

──────────────────────────────────
■目次■
●エニアグラム日記 タイプ8「永遠の反抗期」  ●
● タイプ8「8月は特別な月だ」●
○編集後記                  ○
──────────────────────────────────

「永遠の反抗期」

★8月12日(水)★
夜、駅から家へ向かって、歩いていた。
道が少し広くなっているところがあって、そこに、若い男の人たちが数人、
たむろしていた。
夜遅いのに、大きな声を出してさわいでいて、人目をはばからない。

ぱっと見た目で、7~8人はいた。

迂回できるスペースは、じゅうぶんにあった。どうしようか、一瞬迷っ
た。が、結局、私は、その集団をまっぷたつに割るかのごとく、まんなか
を、突っ切った。男の人たちは、こちらをちらりと見たが、とくになにか
言うわけでもなかった。

その集団を見たとき、ほんとうは、こわいという気持ちが、わきあがっ
てきた。

ところが、それとほぼ同じくらいに、その集団から、威圧されるような
圧迫感を感じていた。

その威圧感に対して、なにか反抗的な気持ちになった。だから、あえて、
まっすぐにその集団を突っ切ったのだ。

私は、胸をはって堂々と、歩いていった。

★8月14日(金)★
人事異動があって、新しい職場へ移った。

しばらくして、前の職場から、『助けてコール』が入った。ある事案を、
Aで処理するべきか、Bで処理するべきかといったような内容だ。

前の職場には、その事案について、詳しい人間がもういない。だから、今
の仕事の合間に、自分の時間を割いて、AとBそれぞれのメリットデメリット
を考え、多少調べたりしてから、折り返し、電話をした。

すると、
「あ~、それ、もうAで処理することに決めました。なにか問題ありました
か?」という返事が、返ってきた。

私の回答を、待たずに決めてしまったということが、分かった。それなら、
最初から、きかなければいいのに。そうすれば、私も自分の時間を使わずに
すんだ。

今のメンバーで、Aでやろうと決めたのなら、それはそれでいいと思った。
Aで処理をしても、とくに問題になるようなことはなかった。ただ、こちら
も自分の時間を割いてやっていたということもあり、前の職場の人に、ふり
まわされた格好になった。

めんどうをみてあげようと思った自分の善意が、無にされたような気がし
て、私はしばらく、だまってしまった。

なあんだ。そういうことなら、今度からは、頼られても、自分たちでやっ
てくれと、つきはなしてしまいたい気持ちがして、はっとした。

相手をつきはなしたり、拒否してしまいたくなるとき、その裏には、だい
たい傷ついた気持ちが、隠れている。そして、傷ついてしまうと、もう二度
と、自分のやわらかな気持ちにふれてほしくなくなって、相手をシャットア
ウトしてしまうのだ。

こんななんでもないようなことで、傷ついてしまうのは、どうしてなんだ
ろう。

(ここほれわんわん)

——————————————————————–

「8月は特別な月だ」

★8月6日(木)★
8月6日は私が広島で原爆に遭った日だ。

人の記憶は不思議なもので、この日のことは明確に覚えている。多分、い
のちに深く沁みこんでいるからだろう。それも感傷的な要素はない。明らか
な聖なる事実としてだ。

原爆の悲惨さを、トコトン悲惨なものとして描き続けた画家がいる。相当
な大作で私も見た。ピカソのゲルニカと違ってリアルだ。しかも人の悲惨な
姿を写実的にびっしり描いている。自分の心の中を執拗に描いているようで、
私には見苦しさの方が感じられ、魂にはとどかなかった。

私はそのとき、1945年8月6日(月)8時15分、爆心地の東5.5
キロメートルの路上にいた。空襲警報は解除されていた。急に左の頬に熱気
を感じた。東には朝の太陽が輝いている。西に目を向けると真っ青な空に真っ
赤な夕陽が見える。それが、見る見るうちに膨張していく。赤い夕陽は溶接
の炎のように白熱化し、目は眩み、顔面が焼けそうになる。

その瞬間膨れ上がった太陽の中心から、金色の火の柱がするすると中天に
駆け登り、真白い雲の柱がそれに続いた。やや遅れて肚に響く大音響、体を
よろめかす大爆風、肚に力を入れてぐっと耐えた。雲の柱はやがて大きなキ
ノコになり、傘が次第に広がっていく・・・周りは森閑と静まり返った。

何が爆発したか知る由もない。ただ凄い体験をした! 母がよく歌ってい
た ♪見よ火の柱 雲の柱を・・・♪ が口をついて出た。 まさに、「地
上最大のショウ」、こんなド迫力のある、巨大で見事なものは初めてだ!

しばらくすると、焼け爛れ、ボロボロになった怪我人が続々と避難してく
る。傷だらけの半裸で腰に脚絆を巻き、重症の仲間をリヤカーに乗せて、寮
歌を高らかに歌い励ましながらたどり着いた寮生がいた。

寮の食堂を片付け、避難してきた怪我人を横たえる。薬や包帯はあっとい
う間に底をつき、食用油を火傷に塗るぐらいしかできない。水を欲しがる。
水を飲ますと瀕死になるので・・・といわれていたが、意を決して飲ます。
それが、末期の水になる人もいる。一番可哀想なのが子供だ。お母さんを呼
ぶ。団扇であおいでやりながら「もうすぐ来るよ」と励ます。

私も両親が気になった。だが、どうしようもない。ともかく、「目の前の
人に最善を尽くすことが両親を救うことになる・・・それしかない」と肚を
決め、燃え盛る西の空を時折眺めながら、夜を徹して看護にあたった。

事実、父は爆心地近くの屋外で重傷を負いながら、二人の少女の一人を焼
けはがれた背中に負い、もう一人の手を引いてやっと赤十字病院にたどりつ
いた。そこは既に満杯で断られたが、二人だけでもと強引に頼み込んであず
け、自分はさらに離れた中学校に退避した。そこで、夜になってやっと奇跡
的にある学生と出会い、看護された。その人が翌朝父の消息を、燃える街を
くぐりぬけ、はるばる母に知らせに来てくれたのだ。

翌朝早く寮を出て、はるか西の郊外にある我が家に向かった。街に入ると、
昨日よりもはるかに惨憺たる光景を目にした。途中、もしや消息がと、父の
職場や親しい人の家のあたりに立ち寄りながら炎天・焦熱の街をさまよった。
ドラマが瞬間止まり、そのままの姿で焼け焦げた遺体、子供をしっかり抱え
込みうつぶせに倒れた母親(?)の姿は、この上もなく聖なる像として今も
強く瞼に焼き付いている。

とにかく、後で知る爆心地を通り、夕方近くやっと我が家にたどり着いた。
我が家のある地域には爆発直後、いわゆる“死の灰”の黒い豪雨が降った。
その厚く積もった黒い灰を取り除き、かろうじて父の遺体だけは布団に横た
え、夜遅くまで父のために杉の白木で御棺をつくった。母と私は庭先に蚊帳
をつり、上半身だけ入り一夜を過ごした。

次の朝、母と、父の御棺を大八車に乗せ、途中で薪の配給を13束もらい、
近くの公園で穴を掘り、荼毘に付した。燃え上がる火を眺めながら、♪主よ
み手もて引かせ給え・・・♪ ♪主よみ許に近づかん・・・♪  ♪清き岸
辺にやがて着きて・・・♪ を歌った。涙は炎のせいか全くでなかった。

空襲警報発令中だったせいか、公園には誰もいなかった。B-29 が一
機低空で飛んでいた。爆撃の効果を撮影に来たのだろう。

この話をいつかある会合で話したことがある。こちらは、今後とも誰も経
験できないであろう体験を懐かしくご披露したつもりだったが、中にこの上
もなく不快そうな顔をした人がいた。

以上が、私の一番大切な、二度と体験できない思い出だ。その後、何も知
らない私は、何度も爆心地を往来し、死の灰に汚染された家に住み、井戸水
を飲み、菜園の野菜を食べて過ごした。

原子爆弾や原爆症なるものを知ったのはその後大分たってからだ。それま
では誰言うとなく直後についたあだ名“ピガドン”や「ピカドンの影響で・・・」
だった。また、いわゆる“死の灰”の実態を知ったのは10年もたって、東京
大学木村健二郎教授の特別講演「高須の民家の雨どいから採取した灰の分析」
だった。その高須とは、何とまさに我が家の地域だ。

私はその後若干の体調不良はあったものの、今こうして元気に生き残って
いる。あれだけの得がたい体験をさせてもらったのだ。実に幸せなことだ。
感謝!感謝!だ。

そんな思いで、今朝テレビの第64回「原爆の日」平和式典に妻と共に参列し
「慰霊と平和」を祈った。

「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませんから」

(ガッツ)

──────────────────────────────────
○ 編集後記 ○

来年の東京マラソンに応募しました。

10月中旬に参加者を決める抽選会があります。
(前回の当選倍率は約7.5倍と出ていました。)

当選したわけではないのですが、ぜひとも完走したいので、いままで以上
に練習もがんばろうと思っています。

追伸:「ミニまぐ」もスタートしました。こちらは、タイプの特徴をクイ
ズ形式で学べます。

携帯用登録・解除URL です。 http://m.mag2.jp/M0091131

★エニアグラム日記の次号は、タイプ9。9月20日配信予定です★

(本永)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

このメールマガジンは『まぐまぐ!』
http://www.mag2.com/ を利用して発行しています。
マガジンID:0000116983
メールマガジン名:エニアグラム《自分探しの旅》
発行者:日本エニアグラム学会

e-mail:ennea-jp@live.jp
URL:http://www.enneagram.ne.jp/
配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000116983.htm

【本メール・マガジンの無断転載、複写は禁止します】

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞