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発行元:NPO法人日本エニアグラム学会   2009年2月15日 vol.226

エ二アグラム《自分探しの旅》
〜〜自己成長とコミュニケーションのための人間学〜〜

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寄せているのは温かさなのに、アルツファイマー認知症の母の前
にはとどかない。子どもは抱きしめても、いとしくても「ほんとの、
おかあさん」をさがそうとする。それでも、両手いっぱいの愛は
途切れることはありません。

湧き出るような愛が存在することを自覚できるから。守らなければと
小さな人にも母からも目を離さない。距離をおいて、なにげない微笑
をおくりながら、見守っています。

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■目次■
●エニアグラム日記 タイプ2「最後のお茶会」●
●         タイプ2「歯医者にいく」●
○編集後記           ○
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「最後のお茶会」

★1月15日(木)★
お正月に近所の和菓子屋さんにぶらりと立ち寄り,広大な庭園が見渡せる
席で,お菓子と抹茶をいただいた。お正月の和菓子といえば「花びら餅」だ。

その和菓子屋さんでは,ほんのり赤いあんと甘く炊いた牛蒡を丸く伸ばし
た白餅に包んである。裏千家の初釜の主菓子で,もともとは,宮中の正月の
行事食らしい。

アルツハイマー型認知症要介護5入院中の母が元気だった頃は,家でお茶
とお花を教えていた。毎年松の内が過ぎてちょうど今頃,初釜を開いていた。

初釜には「花びら餅」は,なくてはならないお菓子だ。私も毎年お茶会と
祝い膳の用意を手伝っていた。お正月にしかいただけないかわいらしい「花
びら餅」が大好きだった。

母の最後のお茶会は,大阪城公園の西の丸庭園の一角にある「豊松庵」で
のものだった。当時,今さっき言ったことも覚えていられなく,系統立てて
物事をすることが難しくなっていた母を助けて大きなお茶会を開くことは本
当に大変だった。

今から思えば,よく無事に終えたことだと感心する。お弟子さんをはじめ,
多くの方々のおかげだと感謝している。たくさんの方々のサポートを得てお
茶会を開けた母の人生は幸せだったのかもしれない。

そのお茶会の後,暫くしてアルツハイマー型認知症の告知を受けた。あれ
から何年が経ったのだろう。今,母は病院でゆっくり思い通りに人生を送っ
ている。食事もたくさんいただき元気に徘徊している。

「桃林堂でね,花びら餅とお茶いただいてんよ。昔はよぉお茶会したなぁ」
と話しかけたら「$&&#“k@のwm;しv9&」と答えてくれた。

もう言葉では関わりを持つことは出来なくなったけれど,「%##sp2
8j&#んzl@*」とよく喋っている母の顔を見ていると,怒った顔のと
きも,泣きそうな顔のときも,笑った顔のときも,「苦労はあったろうけど,
母の人生は幸せだった」と思えるようになった。私も「‘$=”KFIsんd
kh@」と返事をした。

★1月22日(木)★
今日は,臨床心理士試験に合格された先輩と修士論文を提出された先輩の
お祝い会をゼミで開いた。一年生は私だけなので,私が幹事をすることになっ
た。

白ワインで乾杯をして,イタリア料理のコースをいただいた。とても美味
しいお料理で,デザートまで大満足でみなさんに喜んでいただいた。

私は,幹事が苦手だ。ホームパーティーで自分がお料理を作ってみんなに
来ていただくのなら,大好きでとても張り切って頑張るのだけれど,どうも
「幹事」という役割は上手くいかない。そもそもどのくらいの会費にしたら
いいのか,よく計算ができない。

いや,一応「簿記」ができるので計算はできるのだけれど,なんだかしっ
くりこない。どのくらいの予算でどんなお料理ならみんなに喜んでいただけ
るのだろうか,デザートは付いていたほうがいいのか選んでもらった方がい
いのか,いろいろ考えているとクラクラしてくる。

他に「幹事」がいて,その人のサポートをするなら頑張れるのになぁと思
う。本当は,お金や手間なんか一切考えずに,皆が喜んで幸せなひと時を過
ごせたらどんなにいいだろうと思っている。

(魔法使い)
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「歯医者にいく」

★1月28日(水)★

今日は歯医者に行った。以前の治療で神経をとっていた歯なのでもろく、
ヒビが入っていた。そのヒビからばい菌が入り、歯ぐきがはれてしまったの
だ。歯医者でかぶせた銀をはずすとぼろっと歯が折れ、根っこがわずかに歯
ぐきに残るのみだった。

歯科医はもう抜歯したほうがいいというのだが、あと1回くらいなら差し
歯で温存できそうだとも言う。往生際の悪い私は温存する方法を選んだ。た
かだか1本の歯だが、自分の体についていたものが離れていくのは悲しい。

実は生まれてこの方、親知らず以外の永久歯を抜いたことがない。さすが
に40代に入ると永久歯の1本も抜くはめになるのか。前歯ではないが、笑
ったときに脇から見えて歯抜けなのがわかる。あーあ、一気に老けた感じだ。

今日は折れた歯の部分に差し歯をつくって試験的に入れる治療。次回まで
様子をみてから本格的にかためるそうだ。でも時間の問題でまた痛みが発生
するだろうから、そのときは抜歯ですよと医師には念を押された。

★1月30日(土)★
子どものいない私は、※里親というものをやっている。約1年半前にひき
とった男の子I君はすっかり我が家に慣れて近所に友達もでき、いよいよ4
月には小学生だ。今日は入学前までに自分の名前ぐらいは書けるようにと、
私と一緒に名前を書く練習をしていた。ところがI君は名前は書くのだが苗
字のほうを書こうとしない。あーあ、やっぱり。私はがっくりした。

今I君は我が家の苗字で生活している。いろいろな事情を考えて戸籍名で
はなく、通称名として我が家の苗字を名乗っているのだが、本人はうちに来
てから急に「名前を変えられた」と不満に思っていて、「ぼくは○○だ」と
わざと戸籍名を使ったりするのだ。1年半たって表面的にはうまくいってい
ても、こうしてところどころで問題が噴出する。

先月は生母の元に帰りたいといわれてしまった。施設にいたときは一切生
い立ちの話はされていない。だが今後子どもが健全に成長していくためには、
きちんと生い立ちの話をして、過去の自分の歴史を整理することが必要なの
だ。

施設ではできないが、里親宅ではそれをすることができる。だから専門の
セラピストなどのアドバイスをもらいながら、この1年、生母の話などもし
てきた。その結果がこれだ。

生母とは一度も会ったことがないから、本人の中でいいように想像してし
まうようだ。とくに私が叱ったりすると、生母ならきっと怒ったりしないは
ずだ、みたいな反応を示す。

そして「ここはぼくの本当のうちじゃないから」などと言い出すのだ。迎
えにくる可能性がほとんどない生母の元へ帰りたいと言われると、私もどう
していいかわからなくなる。

(お月さま)

※里親・・・事情があって親元で暮らせない子どもを引き取って育てる人の
こと。

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○ 編集後記 ○

実は、先日マラソン大会に出てきました。

フルマラソンではなく、10Kmの部ですが、1時間2分ほどで無事に完走
できました。

たくさんの人と走ったのですが、みなさんに引っ張られてタイムがよかっ
たようにも思います。

来年も必ず出ようと今から思っています。

★エニアグラム日記の次号は、タイプ3。3月22日配信予定です★

(本永)
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